ココだけのコイの話

とうとう あまちゃんが終わってしまいました。
ユイちゃんがグレてユイちゃんの
お母さんが東京でオトコと歩いてた
頃はどうなるコトかと思いましたが
最終的に全てハッピーエンドで
とても清々しい最終回でした。
いつか僕もあの防波堤を全速力で
駆け抜けたいですばい。
始まりがあれば終わりがある
それは あまちゃんだけではありません。
昨日 ひとりの野球選手が引退を発表しました。
熊本が生んだ 孤高の天才
広島カープ前田智徳選手です。
大きな声では言えませんが
僕が一番好きな選手は 前田です。
西鉄ライオンズが去りダイエーホークス
来るまで福岡に球団はありませんでした。
年に一回だけ どんたくシリーズと
題して三日間 平和台球場で巨人戦が行われてました。
当時カープファンだった僕にとって
それがたまたまカープ戦になるのは
単純に計算して五年に一回
さらにそんなプラチナチケットを
父ちゃんが手に入れれる可能性や
雨で中止にならない確率なども含めると
そこにいるのはほぼ奇跡でした。
北別府が投げ 高橋慶彦が走り 山本浩二
打って衣笠が出場し古葉監督が
見え隠れする当時のカープはかなりの
個性派集団で大好きでした。
その頃 ほとんどの人たちが巨人か阪神
そして往年の西武ファン わが家でも
親父は大の長嶋ファンなんで巨党
弟は掛布ファンで虎党
勝った負けたでよく喧嘩になったもんです。
大濠高校の近くの本屋で
月刊誌カープファンを予約してました。
店員さんからあんただけばい?
みたいな顔をされてましたが
毎月付録のカレンダー付き選手
ポスターが愉しみで仕方ありませんでした。
高校を卒業し大学に入学すると
福岡にダイエーホークスがやってきました。
とはいっても パリーグ日本シリーズしか
テレビでやらないし南海ホークスって
いわれてもあまりピンと来ず
依然カープが好きでした。
その年に前田選手は熊工から
ドラフト四位で広島カープに入団します。
奇しくもその年の暮れ 吉本興業
福岡に事務所を設立 翌年四月に
オーディション番組をして
僕らが入ることになります。
そうです…僕らのデビューは前田智徳
プロ野球デビューと同じ1990年
いわば同期なんです。
そんな前田選手は翌年には早くも
一軍に定着しリーグ優勝に貢献しました。
僕がカープを好きになってから初めての
優勝だったので相当はしゃいでいた記憶があります。
そんなある日のコト 僕は吉本の所長さんに呼び出されました。
お前 福岡で芸人してんのに何を広島応援しとんねん!
地元で仕事しとる限りは地元球団応援するのが
筋ちゃうか!と怒られました。
その頃 所長の意見は絶対だったので
私は半強制的にホークスファンに変えられたのでした。
誤解の無いように言っておきますが 今は違いますよ
ちゃんとホークスファンです。
話がだいぶ逸れましたが
広島一筋で
大きな怪我を繰り返しながらもそれに立ち向かい
決して背中を見せなかった寡黙なサムライの引退は
カープファンならずとも寂しい
ニュースだったんではないでしょうか?
前田選手 長い間 お疲れさまでした。

カープ芸人の宇治原くんと
祇園花月の楽屋より